「フィリピの町の二人の女性」  06.05.21
                    使徒言行録16:11〜24

 神さまの救いは、人の目からすれば予想外の人に届けられることが、
しばしばあります。
 自分自身のことを考えれば、誰もがそう言わざるを得ないでしょう。
 自分のことを振り返り、救われるのにふさわしかったと言える人は
いません。
 しかし、こんな自分にもかかわらず、神さまは救いに入れてくださり、
救われたことを喜び、生きる者としてくださいました。聖書には、イエス
さまが、罪人や徴税人たちの所に歩み寄り、共に過ごし、彼らに救いを
お届けになったことを繰り返し描いています。
 徴税人ザアカイ(ルカ19章)、迫害者パウロ(使徒9章)が救われた出来事
などを、人の救いには意外性が満ちています。福音は、人の予想を
超えて、予想外な所に届けられていくのです。
 この場面で、福音はそれまでのアジアを出て、マケドニア(ヨーロッパ)に
広がっていきました。このことも当初の予想を超えた出来事でした。
 そして、新しい地域においても、救われる人がおこります。

 ヨーロッパで最初に救われた女性は、フィリピの町のリディアという
人でした。 ユダヤ人ではありませんでしたが、聖書の神さまを信じ、
フィリピの町のユダヤ人の集まりに熱心に参加していました。
 そのリディアを神さまは捕らえ、救いに迎え入れてくださいました。
 彼女をきっかけに、彼女の家族も救われました。高価な商品を扱い
裕福だった彼女は、伝道の拠点として提供できる家があり、その家が
フィリピの教会の拠点となりました。
 祝福された素晴らしい女性が、最初のクリスチャンとなりました。
 聖書は、占いの霊に取り付かれていた女奴隷も救われたことを
記します。 彼女は、救われ、占いを止めました。聖霊に導かれる
生活が始まったからでしょう。
 しかし、彼女が救われ、占いを止めたことは問題を引き起こしました。
 主人たちがパウロたちに腹を立てて、投獄したのです。

 彼女は、リディアとは違い問題を生み出す自分を責めたかも
知れません。 しかし、神さまは、そんな彼女も捕らえ、救いに
迎え入れるのです。